富士の神々と浅間神社

基礎知識

富士の神仏

富士に登場する神仏というと、神道では「木花之佐久夜毘賣命(このはなのさくやひめのみこと)」、富士講(修験道)もしくは仏教では「浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)」というのが一般的に言われていることですが、これらの神仏は江戸時代において祀られた神仏であり、その背後に富士の根源の神様が存在しています。

富士山は古くは、「フヂ」もしくは「フチ」と呼ばれていたようで、富士の古い神社で元は現在の浅間大社(富士宮市)の地にあったのが、富知神社です。富知神社は現在は「フクチ」じんじゃと呼ばれていますが、延喜式(延喜式神名帳)では「フヂ」と読めるようです。

富知神社は山宮浅間神社が里に里宮である浅間大社を造営するときに、移転して現在の地に立っており、歴史的に見れば、 フヂ(富士) → アサマ(浅間) → センゲン(浅間) → センゲンダイボサツ(浅間大菩薩) → コノハナサクヤヒメ(木花之佐久夜毘賣命) という順で、富士信仰の中心が変遷しているようです。

富士山の神を祀るのが「富士神社」でなく、「浅間神社」となっていますが、浅間神社は浅間大神(あさまのおおかみ)という火山の神を祀る神社です。 富士山は現在は活動を休止している休火山ですが、歴史を遡るとたびたび噴火をしています。 富士山の噴火の歴史については小山さんの「富士山歴史噴火総解説」に詳しく書かれています。浅間大神は噴火を繰り返す富士山に対し、人間が鎮火・平安を願って祀った神であり、神の怒り=噴火を承伏することを目的としています。

富士信仰の中期においての神様は浅間大神であったのだが、富士修験を開いた末代上人(まつだいしょうにん 1105?~?)が修行中にしばしば「浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)」が現れ、この浅間大菩薩と浅間大神は同一であるとの悟りを得たという。その後、その菩薩は「木花咲耶姫」であるとの思想が出現し、富士と木花開耶姫が結びついていったらしい。

富士山には、富士山を神籬(ひもろぎ)とするのでなく、山そのものが神であり御神体である「富士大神(ふぢおほかみ)」が控えています。富士山本宮浅間神社の現在の社地は元来は富知(ふぢ/ふち)神社のものであり、かつては富知神社が富士の山霊である富士大神(富知大神)を祭っていました。

浅間大神様は基本的には男性的なエネルギーをもっており、木花開耶姫の女性的なやさしいエネルギーとは異なるエネルギーです。浅間は、「せんげん」と読む場合と「あさま」と読む場合があるのだけど、この読み方でもエネルギーが異なります。 「せんげんおおがみさま」だと男性的なエネルギーが降りてくるのに対し、「あさまおおかみさま」だと女性的なエネルギーが降りてきます。

そして、富士大神(ふぢおほかみ)になるとかなり強烈なエネルギーで男女といった区分がなく、宇宙の根源的なエネルギーであるように感じられます。

つまり、現在の富士には、「木花之佐久夜毘賣命(このはなさくやひめ)」と「浅間大神(あさまのおおかみ)」と「富士大神(ふぢおほかみ)」の三つの神と「浅間大菩薩」が重層して存在しています。富士山を遥拝するときや富士の場においてエネルギーワークをするときは、これらの神仏のどちらに繋がるのかを明確にしておかないと、うまく繋がることができず効果も限定的になってしまいます。

コノハナサクヤヒメの表記

コノハナサクヤヒメの表記は様々なバリエーションがあります。
浅間神社の 総本社である富士山本宮浅間大社では、「木花之佐久夜毘賣命」ですが、他の浅間神社などでは、
木花開耶姫命
木花咲耶姫命
木花之佐久夜比賣命
木花佐久也姫命
木花佐久夜比賣命
木花佐久夜毘賣命
などと多くの種類の表記がありますが、多いのは「木花開耶姫命」と「木花之佐久夜毘賣命」の表記です。

富士の表記

富士の表記が一定してきたのは江戸時代に入ってきてからのようで、過去には様々な表記がされており、
富士(続日本紀)、 不死(竹取物語)、福慈(常陸風土記)、布士・不尽・不自・不時・不二(万葉集)、普慈、富慈、富知
などが記録にあります。
中には当て字などもありますが、いずれも「フジ」「フヂ」あるいは「フチ」と読むことができます。

また、富士の漢字についても、富士と冨士(冠が「ウ」と「ワ」)の二通りあるようですが、そのあたりの違いについては神社本庁の神社名鑑や白水社の日本の神々などを見ると、特に説明を要する場合以外は富士で表記を統一しているようなので、本資料では富士で表記しておきます。
ただし、資料を引用する場合は引用元資料の表記を使用します。

フヂの意味については、諸説あるようですが、大変興味深いのがポリネシア語(現代マオリ語)を起源とする説で、
フヂ → フチ = HUTI =(神が海中から)釣り上げた(山)
というものです。
富士山の周辺の芦ノ湖、足柄山、愛鷹山、芦川、篭坂峠、御坂山、酒勾川、本栖湖などをポリネシア語で解釈すると、気宇壮大な物語として解釈できるそうです。詳しくは、井上夢間さんの「ポリネシア語で解く日本の地名・ 日本の古典・日本語の語源 」を見てください。

ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/

浅間の表記

センゲンの漢字に、浅間をあてるケースと淺間をあてるケースがあります。
古くは淺間の方を使っていたようですが、富士の表記と同じく、本資料では浅間で表記しておきます。

富士山周辺の浅間神社

浅間神社は日本各地にありますが、ここでは富士山周辺の浅間神社を取り上げます。
神社には本社、摂社、末社などの位置付けがありますが、エネルギー的に見て重要なスポットは摂社・末社などの位置付けに関わらず独立して取り上げてあります。

社名・地名
鎮座地
登山口
富士山本宮浅間大社 静岡県富士宮市宮町 南口:大宮口
山宮浅間神社 静岡県富士宮市山宮 南口:大宮口
北口本宮富士浅間神社 山梨県富士吉田市上吉田 北口:吉田口
大塚丘 山梨県富士吉田市上吉田 北口:吉田口
富知神社 静岡県富士宮市朝日町
村山浅間神社 静岡県富士宮市村山 村山口
人穴浅間神社 静岡県富士宮市人穴 人穴口
河口浅間神社 山梨県南都留郡河口湖町 北口:吉田口
冨士御室浅間神社 山梨県南都留郡勝山村 北口:吉田口
小室浅間神社 山梨県富士吉田市下吉田 北口:吉田口
富士浅間神社 山梨県富士吉田市新倉
忍草浅間神社 山梨県南都留郡忍野村忍草
須走浅間神社 静岡県駿東郡小山町須走 東口:須走口
一幣司浅間神社 静岡県御殿場市古沢 東口:須走口
新橋浅間神社 静岡県御殿場市新橋 東表口:御殿場口
須山浅間神社 静岡県裾野市須山 須山口:南口下宮
富知六所浅間神社 静岡県富士市浅間本町
静岡浅間神社 静岡県静岡市宮ヶ崎町
浅間神社 山梨県東八代郡一宮町
一宮浅間神社 山梨県西八代郡市川大門町

正式名称と通称

浅間神社のように同地区に沢山の浅間神社がある場合、区別するために名称に地区の名前を冠する場合がよくあります。神社本庁などの正式な資料では単に浅間神社と表記されており、正式名称としては浅間神社ですが、地図や資料などでは地区名を冠した表記(須山浅間神社など) を使ったり、通称(三日市浅間神社など)で表記していることも多いので注意が必要です。
本資料では、正式名称の浅間神社と表記するとどれがどれだか分からなくなってしまうので基本的には地区名を冠した名称を使っています。

また、地元で使われる通称になると、「せんげんさん」「おせんげんさま」などもっとシンプルな呼び方になってしまうので、神社を探していて現地の人に聞く場合は注意してください。地元での通称については、神社本庁のCD-ROM(平成祭データ)に記載があります。

富士山周辺のパワースポット

ここでは富士山周辺の浅間神社以外のパワースポットを取り上げます。

社名・地名
鎮座地
富士山小御嶽神社 山梨県富士吉田市上吉田
魔王天神社 山梨県南都留郡鳴沢村
古御嶽神社 静岡県駿東郡小山町
小富士 静岡県駿東郡小山町須走字木ノ根坂
白糸の滝・音止の滝 静岡県富士宮市上井出

延喜式・式内社

【延喜式・式内社(えんぎしき・しきないしゃ)】

「延喜式」は、律令を補足した施行細則のようなもので、全五十巻からなる。延喜五年(905年)に編纂がはじまったので、延喜式と呼ばれる。延長五年(927年)に完成したがその後も改訂が続けられて、実際に施行されたのは康保四年(967年)となる。

第一巻から第十巻までの神祇の編(神祇式という)には神社と関連する記述があり、なかでも神名帳には2861社の神社が掲載されており、それらの神社を通称「式内社」と呼ぶ。神名帳掲載の神社は、国家が公認し、幣帛を奉った神社であり、社格の高い神社と言える。
ただし、これは国家が公認した神社であり、公認されないが社格の高い神社も少なからず存在していた。

延喜式・式内社などの古社については、下記のサイトが詳しくて大変参考になります。

【神奈備にようこそ!】
http://kamnavi.jp/

【玄松子の記憶】
http://www.genbu.net/

記紀

【記紀(きき) 古事記(こじき) 日本書紀(にほんしょき)】

記紀とは、古事記、日本書紀の略称で、どちらも8世紀前半に作成されたもので、日本各地の神話を大和朝廷の立場から取り纏め、編纂したものである。日本の神々の歴史が記されており、神社神道のベースとなる書物である。無理を承知であえて比較するなら、キリスト教の旧約聖書のような書物。

ヤマトの地の神々を記載した書物ではあるが、8世紀ごろの大和朝廷の人々の価値観や神の認識の仕方などをベースとしているため、21世紀においては新しい時代に合わせた、新たな記紀の編纂が望まれる。

富士五湖の龍神

富士五湖にはそれぞれ龍神が住まうとされており、それぞれ名前が付いています。

湖名
龍神名
本栖湖
古根龍神
精進湖
出生龍神
西湖
青木龍神
河口湖
水口龍神
山中湖
作薬龍神

今回は山神様を中心に調べているので、龍神様については、いずれ詳しく調べてみたいと思います。

スポット解説

富士山本宮浅間大社

【概要】
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、富士山信仰の中心的な神社です。

栞から抜粋:
第七代、孝霊天皇の御代富士山が噴火し鳴動常なく人民恐れて逃散し年久しく国中が荒れ果てたので第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の地に祭り山霊を鎮められた。これを当浅間大社の起源とする。

ついで第十二代景行天皇の御代日本武尊が東夷御征伐の時駿河国に於て賊徒の野火に遇われたが富士浅間大神を祈念して其の災をのがれた給い、その賊を征服するや山宮の地(大宮の北方約6キロ)に於て厚く大神を祭られた。其の後第五十一代平城天皇の大同元年坂上田村麿勅を奉じて現在の大宮の地に壮大な社殿を営み山宮より遷し鎮め奉った。

【鎮座地】 静岡県富士宮市宮町1-1

【解説】
浅間神社の総本社として風水的に見てもかなりの場所に立っているそうで、境内の中の湧玉池あたりは日本の中心であるとも言われる。

初めて行ったときは富士のことをあまり知らずに木花之佐久夜毘賣命だけがイメージにあったせいか、姫のエネルギーをとても強く感じました。だんだん富士のことが分かってくると浅間大神のエネルギーがとても強い場になっているのがわかってきます。富士をめぐる巡拝をするのであれば、ぜひとも寄って行きたい場所です。

本殿の右斜め後方にある湧玉池には水屋神社がありそこで湧水を汲むことができます。ここの水はとてもおいしくてエネルギーも良いのでお勧めです。

山宮浅間神社

【概要】
山宮浅間神社(やまみやせんげんじんしゃ)は、富士山信仰の根源的な神社です。

浅間大社の社記によると人皇第12代景行天皇の御世皇子日本武尊が勅命により東夷を征討される途次、駿河国で賊の攻撃に遇われた際、陣中で富士の神を祈念され、無事災難を免れられた。尊は深く富士の神の恩恵を感謝され神霊を山宮に祀られたと伝えている。

平城天皇の大同元年(806)征夷大将軍坂上田村麻呂が勅命により東夷を征討した帰途浅間大神の神威を畏み奉って現在浅間大社のある地(大宮と称した)に壮大な社殿を造し神霊を山宮から遷し奉った。浅間大社とは山宮(元の宮)と里宮という関係になっている。

【鎮座地】 静岡県富士宮市山宮

【解説】
里宮から約5.5Km北東に位置し、大宮口登山道(県道180号)途中にある。地図によっては、地域の名前を冠して宮内浅間神社と記載されているのもあるようだ。

山宮は神体を祀る本殿がなく生垣で囲まれた空間が神殿となっていいます。
山宮は現在の本宮浅間大社の元宮で、社殿が無く石組みだけがあり、神社の原初形態を今に残しています。
山宮は、色々と説があるようですが、実際にその場に立ってみると、とても強いエネルギー場であり、富士の代表的パワースポットと言え、富士の神々にダイレクトに繋がる場です。

これだけのパワーをもっている「場」なので、下手な神殿を作らないで瑞垣のみとしたのは正解で、ここは「場」という空間そのものが神殿と言えます。

北口本宮富士浅間神社

【概要】
北口本宮富士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は、吉田口登山道の起点となる神社で、本殿脇の道が登山道となっている。
この神社の由緒は、
(1)1880年ほど前、景行天皇の時代に日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折に現在の社殿の西南にある大塚丘に富士山霊を遥拝したことによる。現在の社地は、延暦七年(788年)に甲斐守である紀豊庭が卜した場所であると言われる。
(2)垂仁天皇の御代、勅命をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったことが始まりとされている。
の二説あるようです。
現在の本殿は、元和元年(1615年)に鳥居土佐守、東宮本殿は永禄四年(1561年)武田晴信、西宮本殿は文禄三年(1594年)に浅野長政が造営したものであり、歴代の武将の信仰も篤い。
本殿、西宮本殿は昭和28年、東宮本殿は昭和40年に重要文化財に指定されている。

【鎮座地】 山梨県富士吉田市上吉田5558

【解説】
由緒に関しては、私の見たところでは、大塚丘が山宮的な場であること、北口本宮も富士山霊→浅間大神→木花開耶姫の順に祀られてきているということ、記紀において木花開耶姫が火山鎮護の神であるとは明確には書かれていない、ということから私は(1)を採っています。

江戸庶民が富士講で富士山に登る場合、甲州街道を抜けて吉田口に来るか、東海道を抜けて御殿場口に来るかということになるのですが、資料を見てみると江戸からは吉田口がメジャーな登山口だったようです。このあたりの関係性は現在も同じで中央高速道や鉄道(富士急行)が富士吉田まで伸びていることと、吉田口は河口湖と山中湖の間に位置することから、スピリチュアルワーカーの活動も吉田口が多いみたいです。

北口本宮の拝殿の空間は、富士大神に奥の奥まで見られているような、もしくは富士山の胎内にいるような独特の感覚があります。

富士山の麓の浅間神社として、富士大神(ふぢおほかみ)のエネルギーの強い神社を挙げるとするなら、富士吉田の北口本宮(と大塚丘)、富士宮(と山宮)、富士宮の富知神社の三つということになると思います。もっとも場とエネルギーというのは参拝する人との相性もあるので、全ての人にこれが当てはまるということではありませんが。

大塚丘

【概要】
大塚丘(おつかやま)は、北口本宮富士浅間神社の起源となった場です。

案内看板より
北口本宮浅間神社の社記によると人皇十二代景行天皇の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)東征のおり、相模の国(神奈川県)足柄坂本から超えて甲斐の国(山梨県)に入り酒折の宮に行かれる途中この丘に登り富士の霊峯を遥拝したところと伝えられている。
このことを知る里人は丘上に社殿を建てて浅間大神を祀り日本武尊を合祀した。
その後延暦七年(七八八年)甲斐守紀豊が丘の北東に社殿を創立し浅間大神を遷座(せんざ)させたのが今の北口本宮富士浅間神社のはじめであり、丘上には日本武尊が祀られている。
昭和51年12月 富士吉田市教育委員会

【鎮座地】 山梨県富士吉田市上吉田5619
【所有者】 北口本宮富士浅間神社

【解説】
写真で見るとおり小さい丘ですが、下の石造りの鳥居をくぐると、いきなり空気が変わります。高い山を登ると空気がひんやりと澄み切ったようになりますが、鳥居をくぐった時に感じられるひんやりとした空気はちょうどそんな感じで、ここで富士山霊を遥拝したということが実感として感じられます。日本武尊の伝説はあちらこちらにあって、本物かどうかということで議論になるようですが、そういったことを置いてもここは山霊の降り立つ場所であることは確かで、ここで富士大神を呼ぶと他の場とは比べ物にならないくらいスムーズに繋がることができます。
鳥居をくぐって下に降りると、また空気が変わるので、まるで下界に下りてきたような錯覚さえ覚えます。ここが北口本宮の発祥の地であるということが納得できます。

ちょうど、富士山本宮に山宮-里宮の関係があるように、大塚丘は北口本宮の山宮的場所になります。北口本宮の本殿から約350mと近いので、北口本宮に来られたときはぜひこちらも参拝してください。

富知神社

【概要】

富知神社(ふくちじんじゃ)は、ふちじんじゃ、ふぢじんじゃ とも呼ばれる。
第七代天皇孝霊天皇の二年(紀元前288年)に創建と伝えられ、延喜式には「富士郡 三座 倭文神社 淺間神社 富知神社」と記されている。
富士山そのものを祀る神社であり、不二神社、福知神社、福地明神社とも呼ばれる。

大同元年(806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が浅間大神を山宮の地から現在の富士山本宮浅間大社の地に遷座する時に、その地にあった富知神社を現在の位置に移したと伝えられいる。

富士大神を祀る場である富士宮にあった富知神社を移動し、その場に浅間大神が祀られたということになる。 延暦十九~二十一年(800~802)には富士山が噴火したという記録もあることから、富士の鎮火の祈願のために、浅間大神を勧請したということが考えられる。

つまり、富知神社が富士山・富士大神を祀る根本の神社であると言える。

【鎮座地】 静岡県富士宮市朝日町12-4

【解説】
御祭神は大山祇命とされていますが、富士大神(ふぢおほかみ)を呼ぶとダイレクトに繋がるので、どうも後から記紀に合わせて御祭神が整理されてしまったように思えます。

見た目は普通の小さい神社に見えるし、参拝する人も少ないのですが、富士大神と繋がるとかなり強烈なエネルギーが降りてきます。慣れないと頭ぐらぐらするくらい強いです。まさに、富士山本体のエネルギーとダイレクトに繋がります。

富士の根源的な神である富士大神と繋がるのであれば外せない神社です。

村山浅間神社

【概要】
村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は修験道の神社で、修験道は日本古来の山岳信仰と仏教、特に密教を核として神道、陰陽道、道教、儒教などとも習合した日本独自の宗教であり、霊山の山中に深く分け入り、精神的および肉体的鍛錬により、自然・神仏とと一体になることで呪験力(霊力)を得ようとするものである。確かな証拠があるわけではないが、「役小角(えんのおづの、おづぬ、しょうかく)」は富士山修験の開祖とされており、多くの修験者が富士山に入り修行を行っていた。

平安時代後期、「富士上人」と呼ばれた「末代上人」は、富士山を山岳修行の場として選び数百度も登頂し、久安5年(1149)山頂に大日寺を建てたといわれており、「末代」によって富士修験の基がつくられ、その中心になった所が、村山であろうと言われている。

「末代上人」は、最期において自ら「大棟梁権現」と号し村山の地で即身仏(ミイラ)となって当山の守護神となった。 その「末代上人」を祀っているのが、氏神社である。

明治時代になると、廃仏毀釈運動によって浅間神社や富士山から仏教関係の物が取り去られ、富士修験の中心地としての村山の権勢は弱まり、富士登山は浅間大社を中心とした神道的精神修養の色を強めることになった。

村山は、今も大日堂と浅間神社を合わせて祭る神仏習合の姿をとどめ、大日堂を中心に水垢離場や護摩壇などが残されている。

【鎮座地】 静岡県富士宮市村山1151

【解説】
村山浅間神社は、富士根本宮とも呼ばれているのですが、出自が修験道の場として開かれ、現在は衰退しているせいかエネルギー的にはかなり低い感じです。仏教色の強い場なので、人の関与の如何でエネルギーもかなり変わってしまうようで、地元の人の崇拝の強いと思われる氏神社の方が浅間社より強く、良いエネルギーを持っています。

ただし、私はエネルギータイプとしては、神道寄りのタイプなので、修験道もしくは密教寄りのタイプの人が見た場合はまったく別の意見になるかもしれません。

人穴浅間神社

【概要】
人穴浅間神社(ひとあなせんげんじんじゃ)は、富士山の西側に火山活動で流出した犬涼み転尾(マロビ:溶岩流)によって出来た溶岩洞くつであり、古くは「吾妻鏡」(13世紀末~14世紀初頭)にも記述が見られる。富士山の祭神が住むと言われ、一説には木花開耶姫の女陰とも言われる聖地である。

長谷川角行(藤原角行)は永禄元年(1558年)18歳で故郷である長崎を出て修行を続けながら陸奥の国に至った。平泉の近く、達谷の窟(たっこくのいわや)で不思議な夢を見る。「ここより南の方、富士山へ登れば、仏の道への方便を授けよう」とのお告げがあった。そこで富士へ登り、中道をすると、またお告げがあり、「ここから北西の方角に人穴がある。そこは神の棲むところであり、日本の国の中心である」と。人穴の中は水が溜まっていたため、角木を敷いてその上で一千日の大行を行なったので、角行という名で呼ばれている。角行は人穴を拠点に登山や水行を行い、富士講の基礎を築いていった。霊力による加持祈祷による布教を行い、富士登山129回、お中道33回を成し遂げ、1646年106歳で人穴の中で大往生を遂げる。

後年、江戸時代において角行の富士修験は富士講という形で隆盛を見せる。

【鎮座地】 静岡県富士宮市人穴206

【解説】
富士山の西側は人口が少ない上に、大沢崩れがあり登山道が整備されていないため、富士信仰の拠点とはなっていませんが、西側で唯一歴史のあるスポットがこの人穴です。
暗くて狭い場所が苦手なので(^^;浅間神社にお参りして入り口の上から眺めるだけでしたが、それでも他の場所とは違う独特のエネルギーをもっており、これは修験特有のエネルギーだと思われます。

人穴に入った人のHPを見てみると、足元は湿地帯のようになっており、明かりもなく長靴と懐中電灯なしでは進めないようです。行ったときはどちらも準備してなかったので、行かなくて正解だったようです。

※富士講で富士に参拝するのは、東からは甲州街道経由で吉田口、もしくは東海道から御殿場口・須走口・村山口、大宮口。西からは東海道経由で村山口、大宮口というルートが主流だったようです。そのため、富士講の拠点は北・東・南側に多くあります。

河口浅間神社

【概要】
河口浅間神社(かわぐちあさまじんじゃ)は、河口湖近くの麓にある神社。富士山は歴史を遡るとたびたび噴火を起こしているが、貞観六~七年(864~866初頭)には富士山の大噴火がおこり、人民への多大な被害があった。この噴火では、青木ヶ原溶岩流が流出し、富士山北面青木ヶ原にあった古大湖である、せノ海(せのうみ、”せ”は「戔」偏に「リ」)が埋没し本栖湖・精進湖・西湖がほぼ現在の形となった。

噴火の様子を甲斐の国司より朝廷に奏上したところ、翌貞観七年の勅命に依り浅間明神をこの地に奉斎し、富士鎮火祭を行ったのが、河口浅間神社の由来である。そして、醍醐天皇御宇、延喜の制に依り明神大社(延喜式式内社)に列せられる。

境内には樹高40mを超える7本の大杉があり、山梨県の天然記念物に指定されている。

【鎮座地】 山梨県南都留郡河口湖町河口1

【解説】
河口湖から甲府に抜ける国道137号線の河口交差点近くにあり、駐車場は国道を挟んで西側にあります。一般にはあまり知られてないですが、写真にもあるとおり杉の参道もきちんと整備されており、長い歴史を感じさせる神社です。歴史が長いだけにエネルギーもしっかりしており、物見遊山の観光客がこないので、ざわついた感じもありません。

写真には入っていませんが、拝殿前に柵で囲まれた小さい祠があるのですが、こちらも独特の強いエネルギーを発していました。どういう由来のものかは未確認ですが、聖徳太子の祠とも言われているようです。

冨士御室浅間神社

冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)は河口湖の湖畔近くにありますが、御室浅間神社は境内に本殿が二つあって、しかも二つの本殿が正反対の方角に面していて、神社の知識を多少なりとも持っている人ならちょっと困惑してしまいますが、これには、武田家と吉田口登山道の歴史が関係しています。

【概要】
文武3年(699年)に藤原義忠公により富士山中で最初に祀られた神社として、本宮は吉田口登山道二合目(勝山村飛地)に鎮座。延暦19年(800年)噴火のため炎上したが、再建される。里宮は、大原七郷(河口湖辺の7ヶ村)氏子の為の朝夕礼拝殿里宮社として天徳二年(958年)に河ロ湖畔勝山に建立。

戦国時代には、甲斐国武将武田信虎の敬信も厚く、大永5年(1525年)武田信虎が修理するときに、崇敬のあまり甲府古城と当社社門を南北相対させ、朝夕遥拝の便を図り武田家三代の祈願所となる。

現在の山宮本殿は慶長17年(1612年)に建立され、桃山時代の特色を持つが、昭和39年にスバルラインが五合目まで整備されると、五合目までの吉田口登山道は荒廃を極めると共に、元来厳しい自然条件の中にあるため、保存が困難となり、昭和48~49年に山宮を里宮に移築し復元工事を行う。昭和60年に山宮から移築した建物は国の重要文化財に指定された。

勝山村にあるので、勝山浅間神社とも呼ばれる。 御室を小室と表記する場合もあるようだ。

【鎮座地】 山梨県南都留郡勝山村3940-11

【解説】
上記の背景は、参拝したときは断片的にしか分からなかったことを帰ってから色々な資料を当たって調べて分かったことですが、里宮はともかく山宮はなかなか複雑な歴史を持っています。

境内は河口湖湖畔に程近い場所にあります。
里宮は、本殿が南面し参道を通して富士山を遥拝する形になります。一方山宮から移築された本殿は歴史的経緯もあって、北面しており里宮とはちょうど反対方向に面しており、本殿を通して富士山を遥拝するという形になり、二つの本殿が南北逆方向に面するという珍しい本殿の配置になっています。

里宮本殿は、歴史も古くエネルギーが定着しており、富士(浅間)のエネルギーがダイレクトに来ます。一方の山宮本殿は昭和になって移築復元された新しいお宮ということですが、新しい神社はエネルギーが低いものとか定着していないものが多いなかで、元来が本宮であり二合目という場所にあったせいか、ちゃんと浅間様のエネルギーがあり、むしろ里宮より強いくらいです。

小室浅間神社

【概要】
小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)は、恒武天皇の時代、延暦十二年(793年)、当時の征夷大将軍坂上田村麿が東征の折り、この小室の里の瑞穂の地 (現境内)から富士山を拝し、戦勝を祈念しその功業が成就したので、神護を謝し当神社を建立したと伝えられる。甲斐武田家の祈願所としても崇敬が篤かった。

上吉田村、下吉田村、松山村の産土総鎮守として崇敬されている。

【鎮座地】 山梨県富士吉田市下吉田5221

【解説】
小室浅間神社は下吉田の鎮守様の性格が強い浅間さんで、エネルギー的にも土地の守り神的な要素が強く感じられます。上吉田の北口本宮を上浅間と呼ぶのに対して、下浅間・下宮浅間とも呼ばれます。

富士浅間神社

【概要】
富士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)は、三國第一山富士浅間神社、新倉浅間神社(あらくらせんげんじんじゃ)とも呼ばれる。

由緒(記念碑他より抜粋)
第四十二代文武天皇の御代慶雲三年(705年)に甲斐の國八代郡新倉郷へ富士北口郷の氏神として祀る。 大同二年(807年)に富士山の大噴火があり、朝廷から勅使が参向し、「國土安泰、富士鎮火大祭り」が執行された。
新倉浅間公園にあり、桜と富士の写真の撮影ポイントでもある。通称新倉浅間神社とも呼ばれる。

【鎮座地】 山梨県富士吉田市新倉3353

【解説】
小室浅間神社の近くで、中央高速道路を挟んだ反対側の小山の中腹にあります。この地域一体は新倉浅間公園となっています。山上には五重塔もあるようです(未確認)。

神社の境内は富士を見渡す高台になっており、富士を遥拝する神社であることが良く分かります。小室浅間神社と同じく、郷(さと)の鎮守という性格の強い神社です。拝殿に向かうと、この神社独特の力を感じます。郷の人たちが大切にしている神社特有のパワーです。

忍草浅間神社

【概要】
忍草浅間神社(しぼくさせんげんじんじゃ)の創建は大同2年(807年)。源頼朝の富士の巻き狩りの折、鎌倉幕府の武運長久が祈念され、社領の寄進があったと言われる。忍草浅間神社がある忍野村には湧水で有名な忍野八海があり、富士の御手洗とも呼ばれる。大正末期頃まで、富士講開祖長谷川角行の富士八湖修業になぞらえた八海巡拝行われていた。また、富士登山をする行者や道者はこの水で禊払いを行ったと言われる。全国名水100選。

【鎮座地】 山梨県南都留郡忍野村忍草向屋敷456

【解説】
社名、御祭神は浅間神社ですが、この場はどうも水のエネルギーが強く浅間神社としてはちょっと不思議な感じがします。本殿を見てもいわゆる神道系の建物というよりは仏教もしくは修験道的なつくりになっています。創建の歴史を見ても、富士山鎮火を祈念する浅間神社とはちょっと歴史を異にするようです。浅間神社で木花開耶姫を祀る場合、火の神様として祀る場合と、水の神様として祀る場合があるとのことなので、もしかすると本来は水の神様を祭っていたのかもしれません。

須走浅間神社

【概要】
須走浅間神社(すばしりせんげんじんじゃ)は鎮火の祈願の斎場を設けたことから始まる。延暦二十一年(802年)正月に富士山東側が噴火し、しばらく噴火が続いた。噴火によって火山岩や砂礫が飛散し特に富士山東側の御殿場の地の被害が大きく、時の国司、郡司が鎮火の祈願のために東面須走の地に斎場を設け神事を執行。四月に噴火が収まったので、神護を謝し、斎場の地に大同二年(807年)当社を創建した。

【鎮座地】 静岡県駿東郡小山町須走126

【解説】
北口、大宮口の登山口に位置する浅間と同じく、須走口の登山道(ふじあざみライン)下に位置する浅間神社で、本殿左後方が須走口登山道につながります。
こちらも、北口本宮のようなまるで富士山の胎内にいるような感覚があり浅間大神、富士大神のエネルギーを強く感じる社です。北口や大宮口に比べあまり知られていないのがちょっと残念ですが、知られていない分、物見遊山の人が来なくて幽玄さを保っています。

平成15年には資料館と社務所の建設があるようで、行ったときは鳥居と桜門の間に仮設の社務所が建っていました。

一幣司浅間神社

【概要】
一幣司浅間神社(いっぺいしせんげんじんじゃ)は、国道246号と須走口への道県道150号線の交差点の古沢に位置する。
古沢は東国から京への街道の要所として栄えた場所である。
貞観 五年(863年)五月五日に創建。翌年富士山が噴火し、鎮火を祈念し、木花開耶姫を勧請した。天暦二年(984年)には富士山東口一幣司の社号を賜る。

【鎮座地】 静岡県御殿場市古沢797

【解説】当初行く予定はなかったのだけど、ガイドが道を指示して辿り着いたのがこちらの神社です。
国道246号は東西交通の街道であり、そちらから須走口へ登る場所に位置する神社で、産土の鎮守としての神社と、富士登山の成就を祈念する神社という二つのエネルギーを強く持っており、かつては多くの富士登山をする人が鳥居向かって右側の道を須走まで進む途中で登山成就を祈念していった神社だと思われます。

新橋浅間神社

【概要】
新橋浅間神社(にいはしせんげんじんじゃ)は、古い記録が残されていないため、創立については伝承による推定となるが、応保元年(1161)に熊野衆徒によって創建。もしくは建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩りをしたときに創建とされている。
富士山の登山道は、当初須走口と須山口とであったが御殿場村の旅館の佐吉は、北久原から仁杉を通って、宝永山で須山口といっしょになる登山道を切り開き、この登山道を富士山東口とした。

【鎮座地】 静岡県御殿場市新橋2081-2

【解説】
土地の人に大切にされている印象が強い神社です。参拝したときも途切れることがなく参拝者が来ていました。

新橋浅間神社は徒歩で行くときはいいのですが、車で行くときは周辺に駐車場がなく境内に車を停めることになります。ただ、境内への入り口はちょっと分かり難いです。正面向かって右斜め後方の新橋浅間神社の月極駐車場の奥の道(神社関係者以外通行禁止)を進んで行くと境内に入れます。

こちらも、浅間神社の文法どおりの神社で、ちゃんと水があります。
浅間様のエネルギーが強く、土地の鎮守様としての役割にとどまらず、御殿場口登山道に位置する、御山のエネルギーを持った浅間さんで、拝殿前に立つと、御神体である富士山のエネルギーが入ってきます。本宮や北口の少し荒々しいようなものとは少し異なり、いくぶん優しいような感じがします。このあたりは木花開耶姫の現れ方が他よりは強いのかもしれません。

須山浅間神社

【概要】
須山浅間神社(すやませんげんじんじゃ)は、かつては富士山東口の社であったが、後に登山道の増設に伴い南口登山道の浅間の下宮として祭られた。社伝によると、人皇十二代景行天皇の御代(110年)日本武尊が東征伐の時、奇瑞により創祀されたとある。
須山口登山道は多くの登山者でにぎわったが、宝永火口が開いた宝永四年(1707)の噴火により一時途絶え、さらに明治時代末には、登山道が旧陸軍の演習場となったため事実上途絶えてしまった。平成9年、須山浅間神社から富士宮新六合目までが「須山口登山歩道」として復活。
【鎮座地】 静岡県裾野市須山722

【解説】
須山浅間神社は他の浅間神社が比較的開けた場所に建つのとは異なり、用沢川に面し杉の巨木が並び立つ鬱蒼とした社業を持つ浅間神社です。かつては、登山者も多かった須山口登山道ですが、現在では須山を経由して登山することも少ないようです。 静謐な空間が特徴的で山のエネルギーが強い浅間神社です。最近は訪れる人が少ないせいか、古い時代のエネルギーがそのまま残っている感じがします。

石碑に刻まれた歌:
よそにみし ふしのしら雪 けふ分ぬ 心のみちを 神にまかせて

富知六所浅間神社

【概要】
富知六所浅間神社(ふじろくしょせんげんじんじゃ)は、地区の名前を冠して、三日市浅間神社(みっかいちせんげんじんじゃ)とも呼ばれる。当社の御創建は人皇第五代孝昭天皇の御宇と伝えられ、第十代崇神天皇が建沼河別命を東国に御派遣の際、命は当神社を崇敬の余り奏聞して勅幣を奉られ、爾後御代々このことが続けられた。 第四十一代平城天皇の大同元年(806年)五社浅間を勧請するに当り、五部の大磐若経を納め給いし時に当神社を首座とし、特に唐本を寄せられた。

【鎮座地】 静岡県富士市浅間本町5番1号

【解説】
浅間神社ではあるけど、ちょっと複雑な印象だったので、調べてみたら、

六所神社は六ヶ所もしくは六柱の神々を一ヶ所に勧請して併せて祀る神社で、各地に分布しているが中でも静岡県には多くみられる。

ということで、やはりという感じです。
社名の富知は富士山を示す名前なのだが、実際に参拝してみると富士というよりは一般的な山の神という印象が強いく、富士山が遠く背後に位置し、東の愛鷹山が近く、位置的には山よりはむしろ海(田子の浦)に近いという位置関係も影響するのかもしれません。また、木花之佐久夜比賣命(このはなさくやひめ)のエネルギーも強い神社です。

境内にはなぜかドラエモンやピカチュウの石像がある。

富士山小御嶽神社

【概要】
富士山小御嶽神社(ふじさんこみたけじんじゃ)は、富士山吉田口五合目(小御岳)に鎮座。
小御嶽神社は浅間神社ではなく、磐長姫命を祭っている。
小御岳は現在の富士山が形成される以前の山であり、山岳信仰の霊地として今より千年以前の承平七年に創建されたものと伝わる。写真一番右は、日本武尊社。
また、五合目にあるお宮は、以前は鳴沢村にある魔王天神社にあった古太郎坊(こたろうぼう)という小祠(しょうし)を、遷座し小御岳権現と称したものが元になっている。

【鎮座地】 山梨県富士吉田市上吉田5617

【解説】
スバルラインのおかげで、かなり観光化していると自ら由緒に書いている神社ですが、鎮座している場所のせいか不思議とちゃんと祭神がおられます。磐長姫命が祭神で、それと同時に根源的な山神様が背後におられます。ただ神名などはわかりませんでしたが、後年に祀られたと思われる磐長姫命と共に、根源的な山上様もおられます。

日本武尊社は後年に作られた社(やしろ)のようで、ちょっと観光的な印象を免れないところがあるのですが、こちらにもちゃんと日本武尊が居られるということで、やはり富士山五合目という場の良さが印象的な神社です。

魔王天神社

【概要】
魔王天神社(まおうてんじんしゃ)は經津主神を祀る。浅間神社ではないのですが、吉田口五合目の小御岳神社の元となった神社であるということなので、参拝してきました。。

鳥居の右横にある案内看板:
日本社寺明鑑(*1)によると「八代郡下部熊野神社の亥方<西北北>十間の所にあり、承和三年(836年)に修理、大夫正信が創建。享禄元年(1528年)(*2)」神慮により現社地に遷宮す」 とある。また、この社中に古太郎坊という小祠があり、後に富士の中腹、小御岳に遷して小御獄権現と称したとある。
魔王の山をご神体として拝礼するため本殿はない。村では魔王大六天(オダイローサマ)と親しみ、台風などで農作物に風の被害が予想されるときには風の神に無事を祈ったという。戦時中には近郷近在より武運長久祈願の人で多いに賑わった。

(*1)日本社寺明鑑とあるが、日本社寺大観(藤本弘三郎編 名著刊行会 全2冊)のことではないかと思われる。

(*2)訪問した当時の看板の説明では享保元年(1528年)となっているが、享禄元年(1528年)が正しい。この情報については、鳴沢村役場の方から指摘を頂きました。また、看板のほうも正しい年号に書き換えをするように手配しているとのことです。2006.6.7

【鎮座地】 山梨県南都留郡鳴沢村西原7932

【解説】
本殿が無く拝殿のみで、古来の神社の形を残している。

経津主命を祭る代表的な神社は奈良の石上神宮(いそのかみじんぐう) 千葉の香取神宮(かとりじんぐう)などがあり、石上神宮は現在は大正時代に立てられた本殿があるが、かつては瑞垣内の禁足地を拝殿から遥拝する形をとっていた。

魔王天神社の魔王尊は元を辿ると 經津主神→第六天 →他化自在天→Para-nirmita-vasa-vartin(サンスクリット)と、神道から始まって仏教サンスクリット語にまで辿ると言う複雑な構図を持つ典型的な神仏習合の神社になります。

この文章を書いている最中にもちょっと不思議なことが起こったりするので、かなり強力な神様であることは確かなようです。ただ、今回は富士と浅間さんを中心に調べているので、魔王天神についてはまた別の機会に調べてみたいと思います。

古御嶽神社

【概要】
古御嶽神社(こみたけじんじゃ)は、富士山須山口五合目に鎮座。木花開耶姫を祀る。

【鎮座地】 静岡県駿東郡小山町

【解説】
浅間神社系ではないですが、富士山五合目に鎮座するということで、参拝してきました。神社本庁系の神社ではないようで、神社本庁が出している資料には記載がありませんでした。
詳しい由緒などは不明。現在調査中。

訪れた時はまだ開山していなかったので、登山道は通行止めになっていますが、古御岳神社までは行くことができます。登山道の写真の階段を50mほど登ったところにあります。
こちらには、木花開耶姫がおられます。登山者を見守るような優しさが印象的でした。また、浅間関係の神様はおられなくて、木花開耶姫の一柱のみが祀られています。

小富士

【概要】
小富士(こふじ)へは、富士山須山口五合目から徒歩で約20分。富士山の東側に位置し、標高は、1906m。

【住所】 静岡県駿東郡小山町須走字木ノ根坂

【解説】
須山口五合目の登山道から右にそれたところに入り口があります。途中も小富士への道は看板があるので、初めてで地図なしでも大丈夫です。小富士への道は登山道とは言わないまでもハイキングコースよりは厳しいので、最低でもスニーカーが必要。サンダル、ハイヒールでは無理。

小富士に出るまでは、林の中の道なのですが、小富士に出ると一転して開けた場所になります。行った日はちょうど風もない日だったので、開けた場所で風もなく静寂な空間がとてもよい場所でした。時間があまり無かったのが残念で、次の機会には時間を取って、できれば椅子とお茶を担いで行って、ゆったりとした時間を過ごしたいですね。

富士のエネルギーワークをするのに、クルマで行ける場所で、高い位置にあり、観光客に荒らされない場所ということであれば、一番良い場所だと思います。

白糸の滝・音止の滝

【概要】
・白糸の滝(しらいとのたき)

天下の名瀑としてその名を轟かす白糸の滝。

この滝は、富士山の雪解け水が、上部の水を通す地層である新富士火山層と下部の水を通さない地層である古富士火山層の境の絶壁から湧き出しています。高さ20m・幅200mの湾曲した絶壁から、大小数百の滝が流れ落ちています。
その姿は白糸の名にふさわしく、幾筋もの絹糸をさらしているようです。優しく、女性的な美しさで、滝壺近くに立つと、三方が水のアーチとなって幻想的な世界を見せてくれます。
国の名勝及び天然記念物。
(昭和60年日本名水百選・平成2年日本の滝百選に選定)

・音止の滝(おとどめのたき)

大量の水が水柱となって高さ25mから、爆音を響かせて落下する音止の滝。

この滝は、白糸の滝と隣り合わせに芝川本流にかかっています。
その昔、仇討ちの手はずを話し合う曾我兄弟の声が、滝の轟音にかき消され、嘆いた二人は神に念じました。その思いが通じたのか、話合いの間、滝の音は止まったと言われています。滝の名前はこの有名な伝説からつけられました。勇壮な姿と轟音は、今も変わることなく続いている。

(以上富士宮市HPより)

【住所】 静岡県富士宮市上井出

【解説】
二つの滝は隣り合って位置していますので、行く時は両方の滝を廻るのがお勧めです。
白糸の滝は写真にもあるように、下から眺めることもできます。(駐車場からいける展望台もあります) 滝口の場に立つと、滝の飛沫による浄化作用が強く、とても清浄な場です。

富士山ワーク

御中道

富士山参拝というと、山頂奥宮に参拝するという人が多いのですが、それよりも厳しいとされ富士修験の行者が行っていたのが「御中道(おちゅうどう)」です。富士山五合目あたりを鉢巻のように巻いている山道があり、御中道と呼ばれている。富士信仰の信者にとって「御中道巡り」は信仰の完成であり、山頂に三回以上登った人でなければ、ここを歩かせてもらえなかったと言われている。

御中道では、いくつもの沢を横切るのだが、沢といっても水が流れているわけでなく、大小の岩が今にも転がり落ちそうな危うい沢を渡る。地震が起きて岩や石が転がりだしたらひとたまりもない。特に富士山の西側にある大沢では絶えず落石が発生しており、落ちる石が音を発てて次の石に当たり、 連鎖反応で大きな岩が落ちていく。 まさに命がけの巡拝である。

富士講の祖である長谷川角行(藤原角行)は生涯において富士登山129回、御中道33回を成し遂げたとの記録がある。

現在は昭和52年に起きた大沢崩れと、御殿場口六合目~須走口本六合の間の道が不明瞭な為、一周する事は出来なくなっており、スバルラインの富士山五合目から大沢崩れまでの道と佐藤小屋までの道が残るのみ。

富士三巡

富士の麓の浅間神社を廻りながら三巡するというワークは、私のスピリチュアル・ガイドに教えてもらったワークです。一日で浅間神社を参拝しながら富士を三周することで、富士のエネルギー、浅間のエネルギーと繋がり自分のエネルギーレベルを上げることで霊的成長の為の基盤を作ることができます。

(1)時期
麓を車で三周するので、 冬場の凍結期と夏休みの混雑を避けた方がいいです。季節的には春と秋がお勧めですが、ワークをする人が行くべき時期というものもあるので、それが明確にわかる人はそれに従ってください。ただし、夏休みシーズンは道路が渋滞して移動にかなりの時間を取られてしまうので、ワークには向いていません。

(2)用意するもの
車、富士山周辺の道路地図もしくはカーナビ、このページをプリントしたもの。最低限必要なモノはこれくらいです。
一日で300Kmほど走ることになるので、観光している暇は殆どないと思っていた方がいいです。
服装は麓だけを廻るのであれば、軽装でかまいませんが、車を降りて歩く場所も多いので靴はスニーカーが良いです。五合目を含めて廻る場合、五合目は下とは温度差があるのと山の天気は変わりやすいので、防寒のジャケットや傘が必須です。

(3)心構え
巡拝なので無心で廻ることが一番大切です。
行くべき時に行くべき場所を廻っているのであれば、スムーズに廻れるはずです。スムーズに廻れない場合は、何かを見落としているはず。もしかすると日程を変えて再度実施する方がいいのかもしれません。

(4)スタート地点と時間
何処からスタートしても良いのですが、出来れば登山口に位置する浅間神社を起点・終点とする方が分かりやすくて良いと思います。300Kmを走るので時間は結構かかります。私の場合は、朝の7:30に御殿場をスタートして三周し終わったのが夜の9:30でしたので、約14時間ですね。
また、廻る方向は時計回りです。 反対方向に廻るのはよくないので避けてください。

(5)どの道を走るか
基本的には国道138号線(富士吉田~御殿場)、469号線(御殿場~富士宮)、139号線(富士宮~富士吉田)になりますが、時計回り方向の道であれば他の道でも構いません。 特に富士山スカイライン(県道180号線)は道幅も広く高原を走るとても気持ちの良いそして霊気あふれる道で、お勧めです。

(6)どの浅間神社に参拝するか
まず、ここに参拝しなければならないというのはありません。実際のところ何処にも寄らないで麓を三周するだけでも効果はありますが、浅間神社に参拝することでより効果が高くなります。
特にお勧めの場所としては、2 スポット解説の中で取り上げた、
(1)富士山本宮浅間大社
(2)山宮浅間神社
(3)北口本宮富士浅間神社
(4)大塚丘
(5)富知神社
の五箇所です。
もちろん他の浅間神社も良いところですし、また、ここに取り上げた神社が全てではありません。代表的な浅間神社をピックアップしてあります。
なので、どの浅間神社を廻るかは、それぞれの感性やインスピレーションで決めてください。
道の途中で出会った小さな祠がとても良かったりします。

では、お気をつけて行ってらっしゃい。

2006.06.07 update

テキストのコピーはできません。